
HISTORY
人生の履歴書がぶ厚すぎて全部は無理!
超ざっくり簡略版ーこれまでの歩みー

SANTA was born on March 11, 1998 in Nagoya.
1998-2004
夢の種が生まれた幼少期
3歳、母に連れて行かれた運動教室でダンスを習い始める。親戚の俳優小栗旬さんへの憧れや、父がコメディアン・MCという環境下で“将来の夢はTVに出る人”

HOUSE DANCE ?
ストリートダンス代表ジャンルの1つ。HIPHOP、ブレイキン、カポエイラ、サルサ、アフリカン、タップetc様々なジャンルをMIXしてできあがってきた。4つ打ちのハウス音楽に合わせて流れるような素早いステップやフロアワークが特徴。上半身で刻むリズムと下半身で刻むリズムが異なる等、パワーより高い技術とリズム感が求められる。
2004-2010
ハウスダンスとの出会い
小学生時代。ブラジル格闘技カポエイラや、リズム感を鍛えるためドラムのレッスンも。ダンスのジャンルはLOCKINGだったが、11歳頃、トップハウサーのKENJIが夏のキャンペーン¥500で開催したワークショップに安いので何気なく参加。ハウスダンスに一目惚れする。ダンス嫌いの父に頼み込み、日本一になるためスパルタな特訓で猛練習する。
2010-2013
日本一の夢が叶って…
中学時代。スポーツで上を目指す親友達と誓い合い、日本最大級のストリートダンスバトルDANCE@LIVEを目指す。「ハウスはバトルに勝てない」という周囲の言葉を覆すべく、他ジャンルの勉強も重ね、14歳でDANCE@LIVE優勝、日本チャンピオンに。LION CITY THROWDOWN(inシンガポ ール)HIP HOP SIDE優勝など国内外のバトル、SHOW、ジャッジやレッスンの他、海外のワークショップでも教える。
ダンス系YouTuber ARATAさん評
〈メインはハウスだけど他ジャンルの相手も倒せちゃうAllラウンダー〉
2013-2016_Part.1
ダンスに捧げた青春
2014年、ハウスのレジェンドチーム“PINOCCHIO”加入。2016年CERCLE UNDERGROUND(inフランス)優勝など国内外のバトルを転戦、SHOWやジャッジをし、生徒達を育て、たくさんの仲間と切磋琢磨しながら猛練習し、先輩に学び…テストの度に自作の勉強プリントをLINEで送ってくれる優しいクラスメイト達と友情に支えられ、高校生活と両立しつつダンス一色の日々を送る。当時のSNSは総じて“ピュアで熱い!”人の十倍濃い人生歩んでる、少年漫画の主人公感。そしてすでに明け方までのワーカホリック人間の片鱗が。
2013-2016_Part.2
世界チャンプと意識の変化
17歳の時、香港までの遠征費用を自分で貯め、SDKアジア大会優勝→シードでチェコでの世界大会に出場、史上最年少優勝する。この時、勝つことよりも周りの人達が喜ぶことの方が自分が踊る理由だったと気づき、スポーツ的な捉え方をしていたバトルから徐々に表現やエンタメの方向へシフトチェンジするきっかけとなる。GLASS HOPPERのTATSUOとの作品作りの経験を通して、演技や振付やメディアなど、アングラシーン以外の世界に目を向け始める。
2017-2018
オリジナリティの追求
2017年、ハウスダンスチーム「Alaventa」結成。勝ち以上にオリジナリティにこだわり、振付、衣装、演技など全方面からハウスの可能性を追求する。学業の傍ら、振付師、MV出演、バックダンサー、ダンス講師、モデル等幅広く活動しつつ、2018年春20歳で上京。
2018-2019
新たな表現への挑戦
ダンススペースWINGで、Oguri(s **t kingz)演出の公演に参加。TOPダンサーの中、畑違いのJAZZ・コンテンポラリー等を自分に落とし込むべく、オーバーワークで40度の熱が1週間続き倒れるほど心血を注ぐ。その後も、多ジャンルのダンサーとパーカッションが融合した前衛舞台『SAKEBU-叫ぶ』等、新しい表現の幅を開拓していく。SHINee テミンのソロツアーに参加。中でもテミンと1対1で歌とダンスが共鳴し合う「Rise」に“人生を変えられた”ほど影響を受ける。
2019-2020
クロスオーバー
2019年日中混合ボーイズグループ〈WARPs UP〉でAvexよりデビュー。一方、盟友のJazzダンサー永井直也・Kosukeと共にEn Dance Studio全面協力の元、前衛ダンス映像作品「Halo-光輪」発表。更にHipHopダンサーMacotoを加えた4人で演出・振付・出演する同年代チームで固定概念に囚われずゼロから創りあげる舞台〈WAKAMONO〉を主催。underとoverの両シーンを行き来した活動をする。
創造営への応募を打診されるも当初アイドルへの偏見があり即断る。が、よく調べてみると、しっかりしたパフォーマンス等、自分がやりたい方向性に近かったため応募を決意。
22歳の区切りとして「22」という映像作品を作る。
2021-
新天地、中国でデビュー
2/17放送開始の中国のアイドルオーディション番組、創造営2021に出演。全世界からオーディションに合格した90名の練習生が海南島で共同生活しながら投票による選抜(デビュー枠11名)をサバイバルしていく番組。既に芸能活動をしている出演者やインフルエンサーが多数参加する中、中国での知名度はほぼゼロ、尚且つC-POPやK-POPアイドル界隈への接点も薄く圧倒的不利な状況での参加だった。日本出発前、所属会社にも「まあ無理だよ」「Aクラスには絶対行けない」「第一回投票で落ちるだろう」と言われており、“毎回すべてを出し切っても残れるかどうかわからない”というギリギリの状況でのスタート。が、初回学員投票で満票獲得、全現場投票で応援王獲得etc無二のパフォーマンスという強みを生かした戦いと飾らない明るい人柄で中国の視聴者の心をつかみ、最終順位第2位でゴール。2021/04/24、INTO1メンバーとしてデビュー。
(創造営2021中の歩みはこちら)
〈デビュー決定後のお父様のSNSが彼の奮闘の軌跡を著していると感じたので抜粋させていただきます〉
2021年4月24日 デビューが決定し賛多が最初に選んだ言葉が「Street dancerのSANTAです!」でした。
2020年12月 オーデションの結果、創造営出演決定!「たぶん、2月末頃には帰って来るから」と、賛多が日本を離れ中国へ旅立ちました✈️
以前から、「Dancerと言っても Street Dancer でしょ…」「underground の国際大会で結果を出してもoverground では通用しないよ!ましてやボーイズグループには適さない。」なんて言葉を多く耳にしてきました。賛多の悔しい思いを知っていたので、最初の言葉「Street DancerのSANTAです!」で53歳のおっさんは号泣してしまいました。賛多は決して強い子でもなく、才能がある子でもありません。しかし…「Dancerには沢山の可能性があることを世界に伝えたい。」という想いが、やる気に繋がり良い結果に結びついたと思います。
SANTA is halfway to reaching his dreams
